『第2章 長野県観光の将来像』にある。
ね。平成24年までに50%以上と、あるでしょ。で、備考欄に(県政世論調査)とあるでしょ。
ところが、この世論調査というのが、観光満足度調査としては、かなり異質。
「調査の設計」には、こうある。
(1) 調査地域 長野県全域
(2) 調査対象者 長野県内在住の満20歳以上の者
(3) 調査対象者数 2,000人
(4) 抽出方法 層化3段無作為抽出法
(1)は、特定の観光地・観光施設についての調査ではないということ。長野県全般の印象なんですな。答えるのが、難しそうだと、思いません? こないだ行った、温泉の印象なら分かるけど、長野県全般て...。そんなの、誰も、確信をもって答えられないんじゃない?
しかも、それは、(2)県内在住者の印象。ターゲットとすべき、都市部のヒトのそれではないんです。要するに、「あんたのお袋さんて、美人?」と聞くようなもん。あまりにも近すぎて、真価が分からない。「隣の奥さん、どう思う?」なら、答えようもある。
その上、(3)「たったの」2000人。
(4)無作為抽出で、さらに顔が見えない調査に。
じゃー一例として、隣の新潟県の調査を見てみましょ。
2009年新潟県観光地満足度調査秋季調査(速報値)
・調査対象施設 169施設(28地域)
・調査実施施設 135施設(27地域)
・調査票回収施設 118施設(27地域)
・アンケート票配布枚数 25,100枚
・アンケート票回収数 5,029枚(回収率20.0%)
この100を越える地点から、回答を採取しているあたりからして、もーぜんぜん、違うでしょ。回答数も、長野県の2.5倍。しかも、秋だけでね。この数字の差は、当然、調査の品質にも、反映してくる。
新潟県は、「満足度8割以上」と、言っているけど、そんなのあまり重要視していない。調査を分析し、「一度来た観光客が実際にリピーターとなるには「大変満足」という観光客をどれくらい得られるかが非常に重要になる」と、結論付けている。
長野県は、どのような分析・考察があって、50という数値を目標にしたのだろう。なぜ50で、50を取ればどうなるというビジョンがあるのかしらん。
長野県のような、茫洋漠然抽象の質問に対しては、回答者は上手に答えられない。点は低めになる。
新潟県のように、個別詳細具象の質問に対しては、生き生きとした回答が得られる。
率直に言って、長野県の調査は、あまり意味がない上に、他の自治体や観光庁の目指している調査-キメが細かく、分析に耐え、施策にフィードバックできるもの-とも違っている。
長野県だけが、違うモノサシを使って、測定しているようなものなのだ。だから、観光庁の調査では90%、長野県の調査では50%未満という、比較のしようがない数値が出てきてしまう。50未満なんて数字、長野県だけなんですよ、本とに。試しに検索してみて。
要するに、ベンチマークとして機能していない。
その上、例えば、「案内標識や案内所、駐車場の整備」が不足しているとの調査結果があるが、長野県内のどこのことを指しているのかは、この調査では分からない。まさか、長野県全土で、それらの施設を充実させる施策をとるわけにはいかないだろう。つまり、施策に反映させようがない調査なのだ。
たまたま、今回の世論調査では、前回よりもよい数字が出たみたいだけど。
個々の観光地・観光施設の印象というよりは、デスティネーション・キャンペーンとか、観光部の一生懸命な取組み(『ザガットサーベイ長野県版』出版とか)を見た回答者に、そのようなバイアスがかかっていると見るほうが、自然なように、小職には思えるんだけど。
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ことなかれ主義の県職員をどう意識改革していくか難しい問題ですね。毎日の業務を適切にこなし、何も問題が起こらないことが一番よしとしている公務員の意識。新しいこと、やっかいなことなど聞く耳をもたない風習、これでは何十年たっても変わらないでしょうね。なかで職員やっているとそれが普通だと思ってしまう、県職員色に染まってしまうっていうんですか
返信削除外からみてそれはつくづく感じることですね。
匿名さん。
返信削除やはりそう思われますか。
お役所の外の常識と、中の常識の格差。それは、政府民主党が実施した事業仕訳を見ても、明らかですね。
彼らは、というか、我々は、国民/住民の側に立った発想を、奪われてしまっています。というか、自ら放棄してしまったことに、気づかないでいます。それは、国民/住民のみならず、公務員自身にとっても、不幸なことなのですが。
まー天動説と地動説みたいなもんです。役所に居ながら、住民が世界の中心であるという地動説を唱えるのは、異端審問所に送られることを覚悟しないと、できません。