【小泉一真.net】とは

職員・組織の意識改革を目指して、実名を明かし、情報公開請求とブログで戦ってきた、長野県庁元小役人・小泉一真(こいずみかずま)。平成23年5月16日、長野県庁「卒業」。民間人の彼に、何ができるか-「俺の体を斬ってみろ。シナノ・オレンジの血が流れてる」


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2010年11月15日月曜日

「聲(こえ)無きを聴く」評/村井前知事への疑義でした

最近、メールを下さった方が、小職によるある文章について、言及されていた。そういえば、そんなのあったかねえと、改めてその文章に付けた日付を見ると、2008年9月5日。3年前に発表したものを、よくまあ覚えていてくれた。文章を書いていて、嬉しくなるのは、こんなとき。
ちょっと懐かしかったんで、載せてみようかな。

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村井知事就任2周年に際し、職員への言葉「聲(こえ)無きを聴く」が発表された。
やや長くなるが、引用する。

①「第一には、県民に対する説明を尽くすということを常に念頭においていただきたいということであります。知事に対する説明ですとか、あるいは国や市町村など関係機関を納得させることも勿論大事でありますが、何よりも県民に説明を尽くすということが大切です。県民第一であります。懇切丁寧な対応をお願いします。」
②「しかし、これはクレーマー的な様々のアピールに対して媚びるというようなことを意味するのではないことを押さえておいてほしい。本当に大事にしなければならないのは、サイレント・マジョリティと呼ばれる人達の本当に求めているものへの答えを用意することだと思います。」

(本稿大意)
ある県民がクレーマーであるかないかについての判断は、誰が行うのか。ある県民を、クレーマーであると認識することは、適当なことなのか。主張する県民を、「クレーマー」と包括してラベリングすることは、危険ではないか。

(本論)
そもそも、クレーマーなる言葉は、行政の長が部下に指示するに適切な言葉だったのだろうか。①では県民第一といい、②ではクレーマーには媚びるなと説く。では、クレーマーは、県民ではないのだろうか。
大体、クレーマーに「媚びる」というのが何を指すのか、少なくとも小職には意味が分からない。説明しなくてもよいということなのだろうか。明瞭さを欠く指示ではないだろうか。

前職田中康夫が知事であったときに、「浅川ダムを造りましょう」と、執拗に陳情すれば、彼はその県民をクレーマーと看做したかもしれない。逆に現職に、「浅川ダムは要りません」と、執拗に陳情すれば、クレーマーということになってしまうのだろうか。
政策は、為政者によって変わってしまう。だから、ある種のクレーマーを、クレーマーであると判断できるのは、その時の為政者のみだろう。一般職に、そのような判断はできないし、そのように求められても困るのである。
「あの人はクレーマーだから...」と、県庁職員が陰で県民を評価するのが、明るい県政であるとは、小職には思えない。行政機関が、「県民誰それはクレーマーである」と、意思決定することが適当であるとも思わない。ましてや、「県民誰それはクレーマーだから、他の県民と扱いを変えてよい」などとは、到底考えられない。
「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と、日本国憲法は定めている。特定の信条を、政治的に誤っていると為政者が判断することがあるとしても、それによって、法によって運用される行政が、その人に対する接し方を変えることがあってはならないと、小職は信じる。(という信条を披瀝したからといって、小職に不利益な処分をしていぢめては駄目。それは憲法に抵触していますことよ)

クレームとは、本来、正当な権利に基づく要求であり、主張であるはずだが、最近はネガティブな語感が強くなってきている。正当な主張というよりは、「根拠に乏しい無理な要求を執拗に繰り返す」人をクレーマーと称しているようだ。そのような県民に対しても、少なくとも必要十分な説明責任は果たされるべきだろう。...まーそれ以上のことはできなくても、しょーがないし、する必要はない。
とは言うものの、小職が危ぶむのは、クレーマーというネガティブなラベルを、本来的な意味でクレームを寄せる県民にまで、職員が貼ってしまうことを、「聲無きを聴く」が、助長する結果になりはしないかということだ。小職の理解では、現代の経営において、クレーム処理の重要性は語り尽くされており、サービス改善の契機として、むしろポジティブに捉えられている。主張する県民を、十把一絡げに「クレーマー」として忌避する古い思想では、サービス改善の機会を、逃す。それは、①に言う「県民第一」の思想までをも、覆い隠してしまうのではないだろうか。

残念ながら、今の県庁は、そのような潮流にあるのではないかと、小職は危ぶむ。住民のクレームにきちんと向き合い、解決していく姿勢は、自治体行政の基本であるとさえ、小職には思えるのだが。

たとえば、県民からの意見・質問を広く募る「信州・フレッシュ目安箱」実施要領は、直近の改正で、「クレーム」という言葉を、そこから駆逐してしまった。それはまるで、クレーム対処は、県行政の埒外としてしまったかのようである。これについて、小職は問うている。「クレームが寄せられたら、どのように運用するのか」、「クレームという言葉が要領にあるほうが、県民が意見を言いやすいのではないか」、「クレームと言う言葉を外した経緯と意図は何か」と。だが、未だに回答はない(「お知らせ・ご意見コーナー」2008/05/23小職掲載『フレッシュ目安箱」制度の改正について』)。
...知事の強調する説明責任は、職員に対しては果たさなくても、いーのだろうか。

仮に、②が、次のように述べられていたなら、小職は本当に知事を尊敬しただろう。

「これはクレーマー的な様々のアピールを行う人々に対してさえも同様であり、行政として必要十分な説明責任は果たさなければなりません。その一方で、本当に大事にしなければならないのは、サイレント・マジョリティと呼ばれる人達の本当に求めているものへの答えを用意することだと思います。」
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