【小泉一真.net】とは

職員・組織の意識改革を目指して、実名を明かし、情報公開請求とブログで戦ってきた、長野県庁元小役人・小泉一真(こいずみかずま)。平成23年5月16日、長野県庁「卒業」。民間人の彼に、何ができるか-「俺の体を斬ってみろ。シナノ・オレンジの血が流れてる」


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2011年5月6日金曜日

義父を見舞って考えた

「おーい、ちょっと。ごはんをください。助けてー」
車椅子の老人が、ナースセンターの前で呼び続ける。何度も、同じことを。
義父は、療養型の施設にいる。いわゆる寝たきり。その施設で、目にした光景だ。
施設の職員は、呼び続ける老人のそばを、目もくれずに通り過ぎてゆく。声をかけもしない。
「どうしました」
背中に手を置きながら、小職は、話しかけてみる。
「ご飯はたべてないのですか」
「食べたけど、お腹すいちゃって」
「そうなんですね。でもまだ夕飯には早いから、もう少し待ちましょうか」
「うん」
案外素直にうなづく。
それから、少し世間話をした。どこから来たとか、老人の信仰とか。
看護士がやって来た。
「お話できて、良かったね」
「うん、いい人だ」
看護士に何を話したかを手短に伝えて、その場を離れた。
老人は、寂しかっのではないか。話し相手が欲しかったのではないか。
こういう施設の職員は、暇ではないかもしれない。特定の入所者と世間話をするのが、職務とはされていないかもしれない。
だけど、老人の、話がしたいという欲求は、人が人であるからこそのものだろう。認知症を患っているようだったが、そうであればなおさら、進行を抑えるための会話は必要だろう。義父は、もう話もできない。
傾聴ボランティアの必要性が、認知されるようになっている。それよりも原始的な、普通の話し相手でよいから、こういう施設に、ボランティアが入れないものか。普通の話し好きなおじちゃん・おばちゃんを、現場のニーズとマッチングできないものか。
誰もが老いる。そのとき小職が、対等な話し相手がいない生活をおくらなければならないのかと考えると、暗澹たる気分になる。

小泉一真

4 件のコメント:

  1. 亀井です。
    私の義母もパーキンソン病を患っています。見舞いに行って感じるのは、老人の方には失礼な言い方ですが、死ぬことより大きな老いることへの恐怖感です。まだ人間として未熟なんでしょうか?

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  2. Jabbarさん(本名出ちゃってるけどいいんですよね)。それを未熟と言うなら、ほとんどの人は未熟なのでは。小職が老人に話しかけたのも、「これが自分だったらたまらんなあ」という気持ちから。多少の恐怖感もあったかも。

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  3. お年寄りの方々が時折、痴ほう症と呼ばれる病に陥る時、それは本人にとっては、長い人生の中で一番幸せだった頃に戻れる、神様からのご褒美だそうです。
    取り巻く関係者は、地獄を見る事もあるようですが…

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  4. うーんそういう考えもあるのですねえ。と思わず唸る。

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